
周りに甘えて生きていくとは?
甘えたら、楽だよ。
もっと、甘えなさい。
これほど危険な言葉はないと思ってる。
そして、甘えるべき時に甘えられなくて、
もう限界になってからタイミング悪く甘えると迷惑になる。
それは、よくあったなと思う。
自分だけでなく、自分の周りでもよく見てきた。
でも、そんなに器用じゃない人間は、小出しに甘えるなんて、できない。
限界がきてはじめて気付いたりする。
時間、お金、体、精神
拠り所となるもの、依存
冗談が冗談じゃなくなるシビアなこと
冗談で言ったつもりがすごく嫌な空気を放つ発言
当然のこと
常識
甘えていい場所、空間、居場所
当然のように甘えることの後ろめたさ
甘えた分だけ、後ろめたさが生まれること
家族、他人、自分がいる組織
自分の嫌なところを隠すような行動が
次の行動をうむ。意味ないような
悪循環
嘘ばっかり言う人
嘘ばっかり言う人、と思っていたら
ぽろっと本音が出て、小さく傷つく
時間をかけた貸し借りの無限
お金はめんどくさい?
誰か助けてくれるでしょ?といきなり重くなる感じ
笑えなかった。
実家は休む場所で甘える場所であってほしいと思ってた。帰ると気持ちが楽になる。
でも、座ったままわがまま言い放題の私をそろそろやめようと思った。
親はどんどん歳をとる。労ったり手伝ったり優しい言葉をかけられる娘になるべきで、なりたい。
気をつかうわけじゃなく、優しさをかけること。大切にするとは、何かお土産を買ったりごはんをごちそうして喜ばせるだけじゃない。当たり前だけど。話を聞いたり、肩を揉んだり、手伝ったりする。言って欲しそうなことも時には言ってもいいのかも。言葉だけでも。
私と母の関係、母と祖母の関係は、もしかしたら似ているのかもしれない。
私は家を出たから、いい距離感でいるけど。
多分、母は祖母に、本当の気持ちを話せる関係じゃない。悲しみなんて、絶対言わない。
私は母に、本音を話す時はとても慎重。つい最近までは話せなかった。
良い、悪いでなく、
自立していないんだと思う。繋がりすぎていて、境界線を曖昧にしている。
だからわたしは、その境界線を切る役目があるのと同時に、血はつながっていても、別の人間という前提で、母に思いやりをもって関わることをクリアにする課題がある。
本音も、嘘も、いい意味ならいい。
言わなくてもいいご機嫌とりの嘘は、つかないと決めたい。そうしてしまう習慣をつけないようにする。だって、嘘だとわかるどうでもいい嘘は人を傷つける。愛あってこその嘘は、嘘だとばれても優しさが残る。
母は辛そうじゃないが辛いと感じた。
そこにつられて私も辛くなる必要はない。
2人で辛くなったって意味ない。
母は、宝くじが当たったらいとこのひーちゃんの家を建て替えてあげたいと言った。
それは本音だ。
母はわたしよりも弟よりも、自分を必要としてくれて、大切にしてくれて、好きだと言ってくれる、優しい、嘘のない、正直な、いとこのひーちゃんが今の自分にとって1番心の拠り所なんだ。
歪みに歪んだその言葉に、一瞬みんな唖然とした。
みんなの前だったので、照れ隠しもありそうだけど、それを笑顔で娘の前で言えちゃうのはちょっと異常、、、に傷付いている。
自分より家族を優先して生きてきたんだから、もっと優しくされてもいいのに!
そんな自己中な考えが歪んでる。
家族を優先したのも、我慢を重ねたのも、厳しく言えば自分で決めたこと。
私が自由になりたくなればなるほど怒り狂ったのは、自分が自由じゃなかったからなんだ。
でも時間が経って、私が自由すぎて手に追えなくて諦めるしかなかった。だからわたしは家を出てよかった。
がんばるのも、むりするのも、自分の責任で、人にぶつけちゃだめ。
まとまらないけど…
後で母に電話でもしよう。
感謝と、優しい言葉
結局それしかないと思う。
親と子の関係って、難しいものですよね。
優しくされないと優しくできないものなのだそうです。
私の父も私に優しくなかったのですが、父の父は、全く父に優しくなかったので、その話を聞いて納得しました。
結局、いずれは親子が逆転して、子が親を見守るような形になりますが、近づいてあなたが傷つくようなら、そんなに頑張らなくてもいいと思います。傷ついたこと、お母さんに口に出して言えるといいですね。
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親子関係の問題はいろいろあるみたいですね。人生でいろいろあっても、1番解けない問題というか、ラスボス的な存在だと思うことがあります。自分の根本と関わっているから、少しでも解消できると、自分自身が生きやすくなると思います。一度、母に遠慮なく、爆弾をぶつけるかのようにすごくひどいことを言ったことがあります。不思議とそこから関係が良くなりました。自分に余裕がある時に、優しくなりたいと思いました。
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