期待されないこと

期待をかけすぎる親

それで、期待通り成功したら一緒に喜んで、よかった。なんだけど

期待に応えられなかったら…?

自分の悲しい思いと、親への申し訳ない気持ちがのこる。

自分は、だめなやつ。親の期待に応えらる力がない。

逆に、期待しない親

もちょっと問題だと思う。

「大丈夫、期待してないからね。頑張ればいいよ」

これを言われちゃったら、ちょっと複雑。

私は、出来が悪いから、期待もされないんだな…とか。

それで、結果が出なかったら、

「まあ、あなただから仕方がないよ。」

結果が出たら、

「びっくりしたよ。」

言葉って、残酷だなー。

言ってる方と言われている方の意味もびみょーに違っていそう。

私は、期待されたかった子どもでした。

どんくさい、おっちょこちょい、本番に弱い、そんな子ども、と思われていたし、そうなんだと思っていた。

いや、違うでしょ、いつもそうとも限らない。

と、大人になった自分が言う。

傷つきたくないから、期待しない

それは、親⇄子

両方あるなと思う。お互いにそうして、本当は何がいいのかわからなくなってる。

(話がちょっとそれるけど)

図書館で借りた心屋さんの本を読んでいて、あ、私もあるな、とピンと来たことがたくさんあった。

ムカついたり、怒ったりする出来事の裏には、小さい頃の傷(古傷)があり、傷つけられたのではなく、もともと傷ついていた、ということに、しっくりきた。

怒り、悲しみ、やるせない気持ちの古傷の痛みが出てきたら、これは癒して理解するチャンス。

落ち着いて分析すれば、わかる。

そして、新たに気付くことがあった。

私は、図工授業で、子どもが精神的な理由でうまくいかなくなると、それを自分の問題としてしまう。問題というか、つられて自分のことのように影響されちゃうというか…

でも、それは、その子の問題で、私の問題ではない。その子と私を同化してはいけない。。。とは分かっていても。。。

わたしは、うまくいくように、祈るしかない。それがちょっと乱暴でもあり、自分を守るための諦めである。

もちろん『図工的な』指導はする。ヒントも出す。

でも、その子の暮らしとか抱えている問題とか、心の奥まで踏み込んで力になろうというのは、お節介であり、違う。

そこが、ごっちゃになるから複雑に絡まってる。

図工なんて、その子の色が出まくる。経験も、生きてきた人生も。だから、苦しくなる。反対に、癒される時もある。

今の時代は、苦しくなる方が多い。そっちの比率の方が多くて、わたしの心がやられてしまう。

光と影はセットで、どちらもあると認めて、

正しい、とか、美しい、ばかりを求めない自分になれたらいいのかもしれない。

わたしに、余裕、余白が足りないのかな。

小さい子の絵が好きで、担当も小さい子限定にしたかった理由は、そんなブラックな陰に引っ張れるのが辛かったからか。

最近小さい子まで大人化してしまっているけど。

まだ小さい子どもなのに、絵や作品の中に陰をみるのがわたしは耐えきれなくて、なんとか愛を、と思う。そして、自分がすり減っていくんだな…

考えすぎかも。

図工の授業に対して、単に飽きている自分と、疲れている自分がいる。

時代のせいにしたくないけど、わたしはそんなに強くない。

期待する、期待しない

他人と自分

自分事と他人事

いろいろなことが混ざっている。

傷つけないで生きていくなんて無理だ。

投稿者: icecream

実家は梨園,東京に住む。趣味はジムとプール。仕事終わりにおやつを食べる時間が幸せ。好きな色は白、ミニマリストはやめました。朝は白湯とバナナとパン、夢は植物園のような美術館のような空間に住むこと。 多拠点生活をしたい。ラジオ生活。

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