
大人の都合とか理不尽なこととか、本当に仕方ないこととか、そこに愛はあるんか!ってこととか、いろいろありますけど、ポケットにお手紙が入っていて、うーん、まあいいか。となった。5枚しか入っていないレアな折り紙の中の水色を少し切ってわたしにくれた。なんてことなの。
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心を込めてやっていたことが、急にもうそれやらなくていいと言われちゃって、夕方、ちょっとふてくされてた。
ちょっと怒ったし、愚痴も吐いたし、もういいか。って、やる気をなくしていたんだけど、、、
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大きな力じゃなくていい。小さなことで貢献できたら、それでいいと思い直した。この小さい、キラキラのお手紙に私はとても助けられたから。
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お手紙、ポケットに入れといてくれて、私を助けてれてありがとう。優しい子といると、わたしも優しくなれます。これは忘れちゃいけない。
私は、ただ、単純に、
嬉しかったり、楽しかったり、心が温かくなることを毎日いっぱいつくりたいし、感じたい。
自分だけじゃなくて、周りにも、思いやりとか、愛を配れることの豊かさを学んで、最終的にはみんなそれぞれ幸せでいようって思ってるの。
まだ心が柔軟な子どもたちに、押し付けにはなるべくならないように、無理ない範囲で身をもって教えてるの。いろんな大人と関わって、どれがいいか決めるのは自分だとしても、選択肢のひとつとして、教えてるの。
でも、大人はいろんな経験をして、価値観とか生き方とか信念とか、頭も心も出来上がっているから、合う人合わない人はいるから、みんな仲よくとは思ってない。
むしろ、価値観のぶつかり合いは、ばちばちしたい(いや、だめか)
そうじゃないな…
戦わない、が正解
同じ土俵に立たず、客観的になって見つめるのが良さそう。
私が正しいって、きっとみんな言いたい
でもそれって、正解はなくて、自分の中の正解を見失わなければ、いいんじゃないか。
(それは、出来事によって変わってもいい)
そしたら、戦う必要はなくなる。
引っかかる出来事には、それには、ヒントがあるから、
考えていった先に何か鍵がある、そんな気がする。
気が合う人と共感する喜びを感じたり、
気が合わない人との理由を考えたり、
結局、誰と関わっても、それは宝物なのだということ、、、、。
よくわかんないような、わかるような、こんなことを考えるのも、わるくない。