さぼりたい

私、サボるのが好き。

午後のどうでも良い会議とかすっぽかして、こっそりおやつを食べた幸せな時間…

休暇をとっているのだから、何をしようと勝手だが、いいお店でいいおやつを食べると、すごく悪いことをしているように思える。そうやってにやにや食べる。

学校も部活も休んだことなかった昔のくそまじめな私よ、私はこんなにたくましく自由に楽しくなったのだ、と見せつけてやりたい。

常識や正しさの光しか知らない私よ、ちょい悪い影の世界にこんなに美しいものがあるのだ。

そして次の日、朝早くさわやかに出勤して一生懸命働く私が好きだ。

で、

最近サボり感がないなと思った。

それは、フルで働くのをやめたから。

サボるんじゃなくて、勤務終了

毎日おやつタイムにはフリーで自由だ。

ジムに行く

泳ぎに行く

ドーナツを食べに行く

昼寝する

もちろんだらだら仕事をしてもいい

しかし、給料は激減、、、という現実がある。

ちゃらんぽらんしてられるのも、そろそろおしまいにして、

午後のつまんない会議よりも有意義な自分がすきな仕事をそろそろしたいところ。

頑張った時や忙しさからエスケープした時のケーキは一段とうまい。

収入もそうだけど、

このままじゃ終われないぜ感がある。

私、もっと、できることある。

自分も楽しくて、みんなも楽しくなったり役だったりすること。それをもっと、やりたい。

生きてるうちに、全部やりたい。

地道に頑張る行動力と力がぬけた楽観さ、

真面目だったりさぼりたくなったり、

いろいろしながら

でもブレないのは、

やりたいことをやりたい!!!

理想ばかりを語る日

腹筋して寝ます。

あと腹式呼吸ね。

充実した私生活ごっこ

仕事も遊びも家のこともたくさんやった。

職場の人

ケーキ屋さん

パン屋さん

八百屋さん

研究部の先輩へ相談のメール

友達とのライン

いろんな人と話して、

楽しかった。笑った。

まだ明るいうちからお風呂に入り、

明日の打ち合わせのためにシフォンケーキを焼き、

焼き上がりを待ってる時間に明日のタイムスケジュールを確認し、洗濯物を片付けて、たまってしまったハンカチにアイロンをかけた。

無駄があまり無い、完璧な日だ、、、

きた。きちゃった。

洗濯物を干している最中に、発作のように涙が出そうになった。あーやばい。

夜だから。夜は不安定になりやすいから早く寝れば大丈夫…大丈夫…と言い聞かせる。

これだからいやだ。

行動しなかったらそのまま墜落、

行動したらしたで燃料切れで墜落、

いい具合いにできないのか。

とにかく前に進んでいたい。

意味ある1日にしたい。

1日を大事にしすぎるあまりに、自分を犠牲にしてる?

いや、とにかく無理でもして動いてないとおかしくなる。

マラソンみたいに、一度歩いてしまったら、もう走し出せないかもっていう恐怖との戦い。

わたしが今一番欲しいのは目に見える結果、なのかもしれない。(何の結果、なのか。)

例えば、仕事を自分の力でつくること、

大好きな恋人ができること。

収入が上がること…

誰かからの評価

負けたくない。。。。

不釣り合いだったなんて、言わせない。

私がいたから出世したようなものよ、とか言わなきゃ気が済まない。

なに言ってんだろう。

本当はそんなのどうでもいいのに。

堂本剛が『街』の曲をつくった時、

愛を見失ってしまう時代だ

みんな痛みをみないふりしていたいんだけど、

僕は痛みもかかえていたい。と言っていたような気がする。

わかるようなわからないような。

見ないふりはできないし、抱えちゃう強さも無い、宙ぶらりんな感じだなと思う。

こんな時に助けられたのは、

家族でも友人でもなかった。

意外にも…。

いつ切れてもいい、言ってしまえばどうでもいいケータイだけのつながりの人、最近はじめたマッチングアプリだった。

返してないメッセージを4人くらいに送ると、1人くらいは返事をくれたりして、

何も気を使わないし、なんか気持ちがまぎれた。

こんなんでも、ちょっと気が楽になって寝れればそれでいいんだ。

時間が解決するとか…

解放されるのはいつなのか。

やはりそれまでは抱えていくしかないのかな?

チャリと自分に空気を入れた日

午後、昼寝から目が覚めたら、悲しくなっていた。

魚取り用の大きくて丸いガラス(オブジェ)が大好きだった。地震がくると、そいつを1番に守るくらい…

引っ越しの時、机や棚と一緒に、骨董屋さんが持っていった。

なんで手放しちゃった?シリーズの葛藤はまだまだ続く…

彼が買ってくれたそれは、好きすぎて、手放すことにした。

今近くにあったら、ありがとうと思えるんだろうか。悲しくなるのか、無いからわからない。

人生パラレルだとして、今私はここを選んでいるけど、他にどんな人生を生きてる自分がいるんだろう?

そんなん、考えたって仕方ない。見えないしわからないから比べることもできないし。

まだ明るい時間の夕方の落ち込みはこわいものなので、とりあえず外に出て、自転車にでも乗ろうと思った。

親切な自転車屋さんで、ピアスが8こあいてるおばさんに空気を入れてもらった。

しっかり空気が入ったタイヤは、弾むようにすいすい進む。

自転車に空気を入れ

自分にも空気を入れる。

風がとても気持ちいい日だった。

元気になってきた私は、隣駅のお洋服屋さんで知り合いの店員さんと少しおしゃべりをして、

植物屋さんに行って、

一番好きな唐揚げ弁当を買って、

公園のベンチで食べてから帰った。

やっぱりいい風が吹き、三日月が綺麗だった。

暑さからなのか、夜の公園は、遊んでいる子どももいたし、走ってるおじさんもいたし、ゴールデンを散歩してベンチでお茶をのんでいる夫婦もいて、賑やかだった。

ふと。思った。

私はきれいなものや美しい景色や自然、素敵な文章、好きな人の笑顔、、、この人生で、きれいなものをたくさんみたいんだなって。

みて、そして自分の近くに置きたいんだなって。

魚取りのガラスのオブジェは京都の古道具屋さんで買ってもらった。

同じものはないかもしれないけど、また新たに、新たにスタートした自分の目で見た好きなものを自分で買いに行こうと思った。

秋に京都にいこう。

雨はコーラがのめない

なかなか進まないタロット研究家

今日は赤ちゃんに会った。

途中下車して、マッチングアプリでたまたまタイミングがあった優しそうなふつうのおじさん(失礼)に会ってから…

おじさんはいい人だけど、だんだん『私、なにしてんだろ』って辛くなって、結局30分で席を立った。

赤ちゃんはかわいかった。すべすべもちもちで、特に足がつるんつるんで。

双子みたいに一緒に育った友達の赤ちゃんは、なんだか不思議だったけど、彼女から出てきたんだ…彼女はしっかりたくましいお母さんの顔になっていた。

ずっと楽しみに待っていた、赤ちゃん。本当によかった。

出産はすごいこと。体調、痛みとの戦い…小さい命が自分の目の前にある責任…そしてどこの家庭にも多分いろんな事情がある。

不満なんか言ってらんないくらい必死でかわいくてかわいくて仕方ない日々…そうやって生き抜く母はやっぱり強くて、すごいと思う。

どんなことがあっても、どんな状況でも、一瞬一瞬、そして永遠に続くような抱っこの時間、できることが日に日に増えていく、、、、この時間は美しい記憶になる。

まだ首が座ってない赤ちゃんは怖い

抱っこも、ちょっと動くだけでドキドキする。

私もこんな日が来るのか来ないのか

来ることを目標に、その日のために心も体も鍛えて、自分のやりたいこともちゃんとやってける土台をつくりたいところ…

もし私が離婚しないで、彼との子どもを産めていたとしたら、どうだっただろうと思う。それはそれはかわいくて、大変だっただろう。

彼は別れたくないと言った。

私は、無理矢理、気が変わらぬうちに、さっさと離婚の手続きをふんだ。

なんでそんなに急いだのか…なんか、終了のお知らせですーと言われたように、運命の輪が回っちゃったみたいに…あっけなく終わった。

最低な発言を思い出すたび、ため息をついて、ああ、まじで嫌なやつ。と思うが、それと同時くらいに、でも好きだったと思う。

最悪だったけど、私の1番の相棒だった。

正直すぎて、少年みたいな純粋さと残酷さを持っていた。彼くらい振り切れていないと、クリエイティブな仕事はできないのかもしれない。私は正しさで彼に剣を向けた。

正しさと、自分の理想の剣……

彼を自分の思うように変えたいと思ってしまった。

彼との日々は、私の行動範囲と人脈の世界を広げたし、私は彼に私の知ってる世界を教えた。仕事にもつながった。

いい感じに相乗効果でうまく言っていた時もあったけど、

先を先を見ていた時はよかったが土台の基礎のちゃんとした2人の関係性がずれていた。

よく泣かされていたが、離れてからもまだ泣かされている。

良くも悪くも、自分の人生に誰かが関わって、感情を揺さぶられる体験をすることは、

大切な経験だ。

まだ泣いててもいいかな。とも思うけど

私はゆっくりだけど先に進んでる。泣くのも先に進む原動力になる。

タイトルの

『雨はコーラがのめない』は江國香織さんの本で、今日、移動時間に読んでいた。7.8年前に買ったと思うけど…

なんと雨(犬)は、アメリカンコッカースパニエルだった。

私が大好きな犬…デンマークで会ったヌヌチャン。。。

気付かなかった。

なんか、今と昔がつながった気がした。

夏休みがはじまった、、、

手に力が入らないこの感じ。

きた、夏休み

今日の予定は全部変更

自分の目をみたら、くすんでいた

とりあえずねるか。。。

頑張った方がいいのか、頑張らない方がいいのかはわからない

やる気がない気分に任せて予定を決めていたら間違いなく外に出なくなる。うちに籠る。ちょっと鬱気味になる。去年と同じパターンか?!

自分のためのTO DOリストをつくった。

心の中はわからない

この前、実家に帰った日、ばあちゃんは冷房が聞いた部屋で昼寝をしてたんだけど、友達のAさんが土間に座ってアイスを食べてた。

用があるから昼寝から起きるまで待ってると言うけど、家族からしたら、「あ、そう」とも言えず、相手をしなくちゃいけない感じになり、話をしていた。

でも母が来たのでわたしはするりと抜けて、お相手役を母に任せてしまった。

母は30分くらいして家に帰ってきたけど、「Aさんなかなか帰らなくてさぁ」と、ちょっと疲れていた。結局ばあちゃんはまだ起きなかったので、諦めて帰ったらしい。

新聞屋のおばさんも、なかなか帰らない人で有名だけど、ばあちゃんはいくらでも話し相手になる。(そして帰ったら早く帰ればいいのに、とつぶやく)

そんなんで、田舎はコミュニティが狭いので、みんな表面では仲良くみせておいて(そうじゃなきゃ生きづらい)本当は好き嫌い、性格が合わないなどはいろいろある。

わたしは小さい頃、みんな仲良しでみんな楽しくやっていると思っていたけど、

中学生くらいから、本当は…を知る。

大好きな近所のおばちゃんは、実はじいちゃんの土地に黙ってゴミを捨てているとか。土地を自分のものにするために計画を立ててやっているとか。ばあちゃんの畑から野菜を遠慮なしにたくさんもらって帰ってしまうとか。人が見ている時だけ掃き掃除をするとか。

私はおばちゃんを嫌いになって、口をきかなくなった。

今は好き。わたしの離婚の相談を自分のことのように親身になって一緒に考えてくれた。客観的にみた私を知ってて時には泣きながらアドバイスしてくれた。とっても感謝している。私が生きた34年の生活をほぼ全部知ってる人。

母は、私が生まれる前から付き合いがあるので、多分40年近く関わっている。その中で、いいことも悪いこともたくさん覚えているんだろうと思う。

好きとか嫌いとか、合うとか合わないとかの言葉には当てはまらない、そんな次元ではない、長くて大切な付き合い。一緒の地域で暮らす仲間…

それで、今回のテーマ

わたしは何がひっかかってるかと言うと…

友達などの人に会った後について、なの。

「はやく帰ってくれればいいのに、ずっといてさ」

「あの人の似た豆は甘すぎるよな」

昔から聞いてる帰った後の本音の言葉

そんな、(話してる本人たちは半分冗談のような)その人が帰った後の本音がこわいのだ。

だから心配してしまう。

誰かと会った後は、楽しかった〜と安心できるのはごくたまにしかなくて、嫌な思いさせてないかな?疲れさせてないかな?余計な一言言って傷つけたりしてないかな?本当は早く帰りたかったかな?とか自分の行動チェックがはじまります。

そうなると、楽しかったはずの時間も、どこか置き去りにしたまま、不安になって、相手を気遣うような、ご機嫌うかがいのラインとかしてしまう。

ラインの返事が来ても、その言葉を信じられないこととかあって、はぁ(ため息)となったりして。

めんどくさいし自分で絡まってる感じ。

これをもっとシンプルにしたいなぁと思う。

幼少期に傷ついた自分、自分の理想通りではなかった現実と理想のギャップの悲しみが、今もついているんだなあと思う。

言葉と心は一致しているとは限らないし、

本音と建前、というのはみんな使う。

わたしは今日うちにきた友達の表情をよくみた。嬉しそうかな、とか…この話は興味あるかな、とか。

でもそれを読み取るのも当たりはずれは当然にあって、嫌そうな顔してても、本当は考えてるだけかもしれないし、その逆もあるし、心を許してリラックスして、素でいてくれて正直な反応をしているのかもしれない。

表情をつくる、つくらない

本音を言う、言わない

人間の心が見えないのはいいのかわるいのか…どちらとも言えない。

人と人の相性はみんなあり、

友達だけど良くない人もいるし、

全員が100%すごく話しやすいわけではない。

私自身が、そんなもやもやにとらわれて、自分は楽しかった一瞬一瞬を無駄にしちゃうのが寂しい。

『自分だけ楽しかった』は自己中で身勝手で醜い勘違い野郎だと思う。(いいすぎ?)

やっぱり、無駄が嫌いなんだ。

もう少し考えてすっきりさせて、

無駄じゃなくしたいし、改善して余計な考え癖をとっぱらって、楽になりたい。

いい意味での諦めと線引きが必要な気がした。

頼ること甘えることの歪んだ形

周りに甘えて生きていくとは?

甘えたら、楽だよ。

もっと、甘えなさい。

これほど危険な言葉はないと思ってる。

そして、甘えるべき時に甘えられなくて、

もう限界になってからタイミング悪く甘えると迷惑になる。

それは、よくあったなと思う。

自分だけでなく、自分の周りでもよく見てきた。

でも、そんなに器用じゃない人間は、小出しに甘えるなんて、できない。

限界がきてはじめて気付いたりする。

時間、お金、体、精神

拠り所となるもの、依存

冗談が冗談じゃなくなるシビアなこと

冗談で言ったつもりがすごく嫌な空気を放つ発言

当然のこと

常識

甘えていい場所、空間、居場所

当然のように甘えることの後ろめたさ

甘えた分だけ、後ろめたさが生まれること

家族、他人、自分がいる組織

自分の嫌なところを隠すような行動が

次の行動をうむ。意味ないような

悪循環

嘘ばっかり言う人

嘘ばっかり言う人、と思っていたら

ぽろっと本音が出て、小さく傷つく

時間をかけた貸し借りの無限

お金はめんどくさい?

誰か助けてくれるでしょ?といきなり重くなる感じ

笑えなかった。

実家は休む場所で甘える場所であってほしいと思ってた。帰ると気持ちが楽になる。

でも、座ったままわがまま言い放題の私をそろそろやめようと思った。

親はどんどん歳をとる。労ったり手伝ったり優しい言葉をかけられる娘になるべきで、なりたい。

気をつかうわけじゃなく、優しさをかけること。大切にするとは、何かお土産を買ったりごはんをごちそうして喜ばせるだけじゃない。当たり前だけど。話を聞いたり、肩を揉んだり、手伝ったりする。言って欲しそうなことも時には言ってもいいのかも。言葉だけでも。

私と母の関係、母と祖母の関係は、もしかしたら似ているのかもしれない。

私は家を出たから、いい距離感でいるけど。

多分、母は祖母に、本当の気持ちを話せる関係じゃない。悲しみなんて、絶対言わない。

私は母に、本音を話す時はとても慎重。つい最近までは話せなかった。

良い、悪いでなく、

自立していないんだと思う。繋がりすぎていて、境界線を曖昧にしている。

だからわたしは、その境界線を切る役目があるのと同時に、血はつながっていても、別の人間という前提で、母に思いやりをもって関わることをクリアにする課題がある。

本音も、嘘も、いい意味ならいい。

言わなくてもいいご機嫌とりの嘘は、つかないと決めたい。そうしてしまう習慣をつけないようにする。だって、嘘だとわかるどうでもいい嘘は人を傷つける。愛あってこその嘘は、嘘だとばれても優しさが残る。

母は辛そうじゃないが辛いと感じた。

そこにつられて私も辛くなる必要はない。

2人で辛くなったって意味ない。

母は、宝くじが当たったらいとこのひーちゃんの家を建て替えてあげたいと言った。

それは本音だ。

母はわたしよりも弟よりも、自分を必要としてくれて、大切にしてくれて、好きだと言ってくれる、優しい、嘘のない、正直な、いとこのひーちゃんが今の自分にとって1番心の拠り所なんだ。

歪みに歪んだその言葉に、一瞬みんな唖然とした。

みんなの前だったので、照れ隠しもありそうだけど、それを笑顔で娘の前で言えちゃうのはちょっと異常、、、に傷付いている。

自分より家族を優先して生きてきたんだから、もっと優しくされてもいいのに!

そんな自己中な考えが歪んでる。

家族を優先したのも、我慢を重ねたのも、厳しく言えば自分で決めたこと。

私が自由になりたくなればなるほど怒り狂ったのは、自分が自由じゃなかったからなんだ。

でも時間が経って、私が自由すぎて手に追えなくて諦めるしかなかった。だからわたしは家を出てよかった。

がんばるのも、むりするのも、自分の責任で、人にぶつけちゃだめ。

まとまらないけど…

後で母に電話でもしよう。

感謝と、優しい言葉

結局それしかないと思う。

おまけの優しさ

昨日、泣きながら寝て、まぶたが少し重い朝

昨日、閉店間際のパン屋でおためしにどうぞ、とおまけしてもらったチョコチップのスコーンをみてにやける

他にお客さんはいなかった偶然というか、その優しい気配りというか、、、そんな奇跡に驚いたし、すごく嬉しかった。

すごく元気がない時にもらったパンもここのパン屋だった。

このパン屋はわたしを元気付けてくれるパン屋なのかな。

またお店に行ったらスコーンを買おうと思う。元気な時も、元気じゃない時も。お兄さんが覚えていてもいなくてもいい。なんかドラマチックでいい。

今日の朝はこれに救われた。

泣くとは思わなかった

今日の夜はタロットを学ぶ勉強会だった。

わたしはこの日に向けて、たくさん勉強したから、ちょっと周りの人より知ってる自信があった。

勉強っていうのは、絵柄について、ネットで調べて書き出すこと。好奇心でやっていた。

この絵柄はこういう意味もある!と自信満々に言うと、

だけど、誰が書いたかもわからないネットの情報なんか鵜呑みにしてどうするん?って先生につっこまれてしまった。

確かになぁと思ったけど、知りたい気持ちは純粋だった。

ネットしか、調べる手段はなかったし、嘘ではないと思う。

インスピレーションが大事というけど、

わたしは知識も必要だと思った。

この気持ちをうまく説明できなかったんだけど…

この、勉強するという『やりたいこと』は自分を助けていた。暇つぶしに最適だった。

だけど、疲れていたのか、

それを全部否定されてしまったように感じて、

わたしの自主的なお勉強も、好奇心も、カフェでの朝勉も、なんか間違っていたのかな?絡まった行動だったのかな?

もしかして、(わたしが大嫌いな)無駄?

と思ったら、ぐさっと傷付いた気持ちになった。

さらに、わたしが相談者の立ち場役で、相談内容何にします?と言われて、

「夏休みがこわい」

って言葉と同時に涙が溢れてきた。

わたしは逃げ道が欲しいんだ…

家から出たい。

何もしないで冷房かけて寝てるのもいいことだよ。ってアドバイスをもらったけど、

それは1番キツくなる。

何でもいいから用事をつくって外に出ていたい。

ひとりは嫌だ。

だけど、現実はそうは行かない。

体が動かない。

だから結局、家から出れなくなる。

癒しの相棒も

年下のボーイフレンドも

元旦那も

お料理上手なお姉ちゃんも

去年プライベートを楽しく過ごした人たちは

みんないなくなっちゃった。

だからわたしは自分を責めることか、行動することしかやることがない。

よくないとわかっていても。

泣いたら、すっきりしたでしょう?

と言われたけど、はい。と言いながらすっきりしない。

帰りに買ったお刺身セットもおいしくなくて、食べられなくて、魚ごめんとなる。また涙が出る。

結局わたしは同じようなループでぐるぐる生きているのかもしれない。

抜け出す日は、いつなの?

この悲しい日々も、ユーモアに変えられたらいいのにねー

夏休みがこわい

あっと言う間に夏休み

夏休みは1ヶ月

実は6月くらいからこの夏休みがこわい。

暑くて、バテて、空っぽになって、いい加減な生活になって、出かけない、会話をするのはスーパーの人だけ、毎日に色彩がなくなり、だんだん苦しくなる。

仕事にどれだけ救われてるか、気付く。

そして今日、それをプレ体験してしまった。

朝から横になっていたくて

髪を結ぶのでさえめんどくさい。

食べる意欲だけはいつもあるのでなるべく少ない工程のものをつくって(というか、切ったり蒸したりして)食べる。

今日は味噌と切り干し大根にお湯をかけただけの超即席味噌汁と、ゆかりごはんのおにぎりにチーズとうすい昆布のりを巻いて食べた。

食べたら、ベッド、それを繰り返していく。

多分夏バテからくる倦怠感なんだと思う。

でも、すごく具合いが悪いわけでもないので、倦怠感なんだか、ただの甘えなのかわからない。

きっとジムにも行けたはずだし、行ったら楽しい。

買い物も、散歩も、、、行けたはず。

その考えがさらに自分をしめつける。

こんな時期も、楽しめたらいいんだけど。

とりあえず、予定を入れて、外に出て行くようにしよう。

去年の夏が辛かった。

ベッドから起き上がれなくて、夜は寝れなくて、常に泣いていた。

1年たった今、その自分はもう過去だけど、

記憶は頭の片隅にある。

誰かの力じゃなくて自分の力で夏を楽しくしようっていう課題がもしかしたらある。

夏に限らず日常を、、、。

強さがあれば、優しくなれる。

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