逃げたい何かから

昔、彼氏をつくりたかったのは、実家の窮屈からの解放だったのかもしれない

そして、今旦那をつくりたいのは、精神的にやられる実家からの解放なのかもしれない

解放

遠くに行きたいのもそう

それは、本質は、物理的な距離ではなく、精神的な解放

でも実はいつでも自由であることにも気付きはじめていて、

帰れる場所でもある。

一度出たら帰れないことを恐れていたのか。

そんなこともないのに

逃げたいっていうのと、いつでも逃げていいっていうのは、180度違う。

手放すべきは罪悪感である。

主導権を自分にせよ。

自分を信じて。

みんな癒されてない

癒しってなんだろう

気持ちと体の心地よさ、バランス

悲しかった感情、自己犠牲、無力

肯定されなかったこと

理想と現実のバランス

自由なようで不自由なこと

他人優先

いっぱい傷付いてきたその傷をさらにまたえぐられて傷が深くなっていくことを繰り返してしまったか。

中途半端な優しさや、情で、嫌なことも我慢したか。

優しさとか、本当の愛情とか。

目に見えるものはパワープレーで豊かになっていたかもしれないけど、

心は豊かじゃなかったかな。

目に見えるものの価値の崩壊

負けん気と根性が、弱さを受け入れなかったか。

弱くなっていたら絶滅してしまう危機にあったか。

1番大事なことは、、、?

本当の、のぞみとは、、、?

自分が傷付いたら仕返ししてやりたい、負けてらんない、その繰り返しではお互いに傷つく。

傷つけないように、気を遣ったり、

相手をよく見ること。

乱暴に扱わないこと。

1番大切な人って、1番近い存在なんだから。

口は災の元。

なんでもかんでも口にしない制御する上品さ

自分は傷付いても、相手をばかにしない。

傷付いてなくても、相手に対していろいろ言わない。

陰口を言わない。

踏みとどまるべきところも、

チャックできず、全部言ったり

関係ない人にまでベラベラ話すのはよくないよ。

ストレス発散に話すのはいいのかもしれないけど

理解しようと整理する気持ちが根底になければ。

いいの。言っても。

でも、相手が不利になるくらいこてんぱんにやるのはただのいじわる。

ぐっと我慢して、落ち着いたら本人へ、優しさと誠実さと冷静さを持ちながら、素直な気持ちで伝える。大事な人なら。付き合うつもりがあるなら。

そうじゃなきゃ、ほっとく。

タイミングも大切だけど、

相手の立場や、相手を包み込むような言い方

できたらいいよね。

シンプルに、わるかったかな。とか。

傷付けて、ごめん。って。

相手と向き合って、分かり合う。こわくても、信じる。愛を与える。伝わらなくても、相手を尊重する。それが癒やしにつながると思う。

自分と相手はつながってるから。

相手は自分の一部だから。

一回で諦めないで、根気強く愛をもってつながる努力、そうしている間に相手は癒やされていくし、自分も癒される。

優しくなること。自分の傷を治す方法は、相手の傷に触れて手当すること。怖いけど、大丈夫と信じること。そっと触れること。

恐怖は経験したことないからこわい、未知だから

人が亡くなる瞬間にはじめて立ち会った

いちばんおそれていた、ばあちゃんで。

心臓が停止する

喉が動かなくなる

苦しくはなさそうだった。

ピーという心肺停止のアラームが繰り返す

何回かピーとなった後に、

看護師さんが、先生を呼んできますね

と言って、

先生は2分くらいたってから来た。

ペンライトで目を確認し、聴診器で胸の音をきく。

0時28分

実際には、0時25分くらいだろうけど

先生の確認完了が0時28分だから

その時間が亡くなった時間となる。

こんな感じなんだな。

私は逃げずに死と向かい合えた自分に驚いた。ら

顔の近くで、両目でばあちゃんをみた。

メダカ1匹でさえ、死んだあとはすごく悲しくなる。救ってティッシュにのせた時の重さ

昔飼っていた犬、チャチャを思い出した。

チャチャは体に虫がわいてしまい、皮が剥がれてきて、私は必死でピンセットでうじ虫とりをした。小さいシラスくらいのにょろにょろした虫を、一匹一匹、きりがないとわかりながらも、とった。高校生か、大学生の時。

もう元には戻れないのを分かりながら、寄り添う。別れを覚悟する。

この時の感覚と似ていた。

みんな、泣く。

思い出を思い出して、元気の時から今への変貌に嘆いたり

もう、故人がつくってくれた○○が2度と食べれないとか、○○してくれて嬉しかったのにもうしてもらえないとか。

『わたし』の生活が変わることに嘆く。

自分もそう思ったのと同時に、なんか自分勝手じゃない?って。図々しくない?っていう考えがよぎる。

自分勝手だな、って。

今まで受けていた恩恵を受けれなくなるから嘆くなんて。

さみしいっていうのも、主語は自分で、

結局自分勝手な依存じゃん。

ばあちゃんはがんばって生きた。チャチャもがんばって生きた。最後の瞬間まで、人生を生きた。

そこに関わらせてくれて、ありがとう。光栄だった。影響を受けた。その姿勢や素敵な見えないプレゼント(思いとか信念とか)を引き継ぐよ。これからの私の人生に繋いでいくよ!

そんなシンプルな気持ちで、いいのではと思う。

命がどのくらいなんて、みんな知らなくて、みんな生きてるけど、絶対いつか死ぬし、別れるんだから。

その時は受け入れるしかない

ひとつのストーリーがあったとして、ストーリーの途中でたくさん学びがあるんだけど、そのストーリーが終わったら、

その先はない。

必ず、終了、完了がある。

そしたら、振り返る。戻って思い出して

登場人物や出来事を自分の糧にする。学びにする。

それしかないと思う

まあ、これも主体は自分なわけで

これも自己満的な考えなのかもしれないけれど。

死ぬ側(離れる側)の気持ちはわからない。

でも、予測や寄り添いはできるから。

そう思ったら、

ばあちゃんも、チャチャも

もう充分だよ。がんばったよ。無理しなくていいいんだよ。楽に呼吸して。リラックスして。ありがとうね。

それしかないよ。

「ばあちゃん!大したもんだよ!!」大きい声で言った。

他にも安心できる言葉をいっぱい言った。

大丈夫だから。心配しなくていいよ。

みんなに任せて!私に任せて!

あの時のことはもう怒ってないんだから大丈夫!

畑、やるから。

豆も、まくから。

普段仕事を引き受けたり手伝ったりする感覚で、そう言った。

14年経って、じいちゃんが迎えにきたよ。

天国にはいっぱい友達が待ってるから。

冗談言って、いつもみたいな口悪さで笑ってるんだと思う。

みんな、さみしいけど

さみしくなりながらも、さみしくなってる暇がないくらい、自分の人生をやろう

いつ死ぬかわかんない。

何年生きるかわかんない。

やりたいことやって

言いたいことを言える自分になって

優しく、たくましく、

人生謳歌しよう

人のせいにしない、人に依存しない

自分でなんとかできる、自分のことは自分で責任をもって幸せになれる、

あるならかんしゃする。

ないならつくる。

そうやって、暮らしていこう。

ばあちゃんの料理

熟練の味は出せないけど

わたしはわたしの精一杯の、わたしの料理をつくれるから。

ハルちゃんには卵焼き。私がつくる。

味噌も畑も草取りも私がやる。

みんな、大丈夫だからね!!

得たものは何もなくならない

すごく好きな人ができてしまったら、

一緒にいることよりも楽しむよりも失う恐怖が強くなる。

別れがくることがつらい。

離れられない。

だから、多少不満がある人と一緒にいる方が、自分は自由なんじゃないかと思ったりする。

居心地がよかったら、ずっと一緒にいればいいし、どこにも行く必要がないし、挑戦しないし、現状に満足する

だから自分に優しくしない人を選ぶのかも。

優しくて、好きで、そんな人から離れる自信がないのだ

ずっといて。ずっと夢見心地で。ずっと安心していたい。

そんなの無理なのに。

でも、記憶はのこるから。

別れた人も死んでしまった人も

私からしたら会えない人となるので

同じ様な感覚だけど。

でも、会えなくなっても、離れても、記憶は残る。

そんなに好きならば、影響も残る。

その人からの影響が自分の一部となる。

だから、おそれなくていい。

出会いは必然であり、意味がある。

役目がある。気付きがある。得るものがある。

終わりは来る。絶対来る。

その日まで幸せに暮らすしかない。

心配したって、もがいたって、なるようになるのだから。

ちょうちょみたいに、ぎゅっとつかまない。潰れちゃう、傷つけちゃう。

優しくつないで、合図が来たら考えて、対話して、答え出して、手放せばいい。乱暴じゃなく、出ていくのをみる。そんな感覚

ばあちゃんは今日死んじゃうかもしれない。

でも、見守る。感謝をする。

自分の中には残るし、影響はいいとこもわるいとこも全部関わった時間全部擦り込まれている。

教えてあげるをやめる

2つ同じような失敗をした。

1つめは、年下の子に、仕事の姿勢はこうあるべきだと(相手を否定してから)伝えた。

2つめは、仲良くなりそうな男友達に、女はこうだからこうやって言うべきだと(相手の発言を否定してから)伝えた。

どちらも言った時の私はよくぞ言った👏的な自分の変化に喜んでいたけど、後から後悔することになる。

それから、去年女上司に、私は逆のことをされて怒った。なんなんですか。ほっといてくださいよ。と思って、余計なお世話です的なニュアンスで言い返した。

私も相手も傷ついて終わる、そんな出来事だったけど。

私の(ちょっと極端すぎる)変化への挑戦は、褒めてあげつつ、

もう、人にアドバイスはやめるし

嫌なアドバイスからは(★たたかわずに)静かに距離を置くことだ。静かに。

嫌なことも(★たたかわずに)考える材料になった、くらいの軽さで、離れよう。

主張せずに、戦わずに、傷付けずに

離れることだ。

嫌なことを嫌と言わなくていい。あっちから聞いてきたら言えばいい。

居心地の悪い状況は、一旦様子見て、タイミングが来たら離れる。(なるべく早いそのチャンスを逃さないこと)

自分の意思のまま行かず、周りを見ることが自分を助ける。

相手を傷つけない様に気をつかうことは、

自分を傷つけないことにもつながると覚えておこう。

冷静に。優しくね。

簡単に欲を満たしたい

のぞみはすぐ叶って欲しいし

努力せずとも結果を出したい

好きになった人には常に私を大好きで見ていて欲しい

なんもしなくても愛される

ありのままが完全で

ただ、生活しているだけで

ただ、呼吸しているだけで

わたしはすごい存在でいたい。

もちろん新しい日々を生きているだけで発見はあるし、人は日々を積み重ねるだけで更新している。

だから、そんなに無理をする必要もない。

でも、退屈する。そのゼロか100か思考がまだ強いのかもしれない。

イントラをやってた頃も、新たな仕事をしている今も共通することは、

キャパオーバーな未知領域に必死についていってること。何も専門的な知識がないところからの挑戦。

いつも緊張していて、力が入っていて、不安で、やってくる本番へ期限が迫るのがこわい。失敗がこわい。完璧にしなければいけない。お客様または生徒さんの時間を有意義なものにしなければならない。そんな責任感。

いつもそれがひっついているから、いつも押し潰されて疲弊している。元気が出ない。そんな時に問題が重なったりイレギュラーなことが起きたりしてさらに疲弊する。

最近よく出るのはゼロの愚者(愚か者)

楽しそうに、経験を求めて新たな世界に飛び出したが、実は崖っぷちで油断すれば落ちる。(でも、意外と落ちないし、落ちたら落ちたで、しななければ違う世界へ進むのだろう)

今の私は愚か者。楽しそうな。でも、私はこのカードが好きだ。1番好きかもしれない。未知な感じ。開拓者みたいな。

ゼロ番と言っても、21の世界までを何周も何周も回ってきた、いろんな経験を経てきた愚者。

私は、経験をしたいのだ。

だから実は今が好きなのかも。はじめてだからめんどくさい葛藤や勉強があるし、できないことをできるようにしないといけないから忍耐も時間もかかる。楽な方に逃げたくもなる。

逃げながら少しずつ進むしかない。

怒られたりバカにされたりしたけど、そんなの気にしなくていいんだ。挑戦しない長者よりも良いと自信持って。

◎過程を楽しむも

それも私に必要な課題なのだろう

必要以上に疲弊しなくていいし、気を遣わなくていい。

必要以上の責任感もいらない。頼れる人に頼る。

いまできる、心地よい気持ちの良いこともしながら辞めずにやる。

この仕事がひとまず終わる3月には、21世界まで行くとか思わなくていいし、完了という意味ではどうしたって21にはなる。

現実逃避

⚫︎ピアノ

⚫︎お菓子づくり

⚫︎コンバット

⚫︎掃除

⚫︎床拭き

⚫︎庭の草取り

⚫︎実家帰る

⚫︎料理

⚫︎カフェ

⚫︎ブログ

⚫︎明るいうちに風呂

⚫︎おやつ

⚫︎気の合う友達と少しお茶

⚫︎泳ぐ

⚫︎ミニマッサージ機でごりごりする

⚫︎H&Mいく

⚫︎チャリ

⚫︎たまには外食

⚫︎休憩時間のまんじゅう

⚫︎音楽

⚫︎海外ラジオ

⚫︎夜の10分散歩

⚫︎歌うカラオケ行こうかな

⚫︎海

⚫︎買い物

⚫︎読書

⚫︎タロット

⚫︎トシエさんのblog

ここにある半分以上は、5年前にはできなかったこと。めんどくさかったこと。興味なかったこと。

こう考えると、いろんなことができるようになることというのは、自由が増えることなのだなと思う。

だから、今苦しいことも、トンネル抜けたら自由が待ってる気がする。

もがき、わからない、迷惑もかけながらがんばる今しかない今を。がんばりたい今を応援しよう。

やめない。

女性性の否定

私は私の女性性を否定している

パートナーがいない自分

子どもがいない自分

離婚した自分

彼氏と長続きしない自分

学生時代に好きな人と付き合えなかった自分

弟よりも愛されなかった自分

父親に愛されてる実感を持てなかった自分

ずっと、否定してきたものが積み重なって複雑化して見えなくなっている。それが自己の全体の否定となっていることに気付いた。

私は,自分をくるしめていた。ダメ出ししていた。理想の環境になるように頑張れってしていて、頑張っても思うようにならないから、何やってもだめなものはだめなんだね、って自分に失望してる。

結婚したい。子どもを産みたい。

そんな人生がいい。

それができなかったらどうしようという恐怖を見ないようにして、大丈夫、大丈夫、タイミングだから、と時がくれば、と自分を信じている。信じているようで、神任せなところもあって、自分の責任ではないとしているところもある。

結婚しなきゃだめ?子どもつくらなきゃだめ?

本当に?

自分に問いかける。

どうなっても幸せでいる自信

そっちのが大切だな。

今、幸せ。不幸もあるけど、幸せもたっぷりある。

離婚した一人暮らしの私は、さみしい。これは事実。一緒に夜ご飯を食べたりお話したり一緒に楽しく過ごす、時にはそれぞれがそれぞれに自分の好きなことに夢中になるパートナーがいたらいい。

100パー幸せなんて、ないしある。解釈で変わる。

そうすると、捉え方次第で100

嫌なことや不満があっても、それがあることで考えるし学びがあるし成長があると思ったら最高に幸せだ。

返事が来なくなったひろきくんも、だいすけくんも、出会えただけで私は幸せだし、自分をみつめる要素になった。知らなかった自分の強い欲求やいじわるさやわがままさやコントロール欲求に気付いた。

そして、それが出てしまうのは、自分に要因があることにも。

私ははやく安心したい。見える形で。付き合ったとか、結婚したとか。だからいそいでしまう。せっかちになってしまう。相手の返信が遅いとイライラしてしまう。はやく片付けたい問題だから。

本当は、楽しむことが大切なのに。

人生目標達成じゃなくて、課程だ。今だ。今の連続だ。

結果を出せない?全ての行動には、すでに結果がセットでついてきてます。

成功がいい結果ではないとは、わかる?

世間は100点とか、勝ちとか、活躍が成功。

私は、失敗もいい結果だと思う。

学びあり、失望感も味わえる。やるせなさとか切なさとか、そういう心に刻まれることがのこる。

心に残ることが、心に刻まれることが

結果、であるのではないか。

綺麗事ではない。

欠落している部分が良さでもある。それにそろそろ気付くべきだ。かんぺきじゃないところが、美しいこと。

そこにきらめくところがある。

成功への執着を捨てよ。

意味ある。全て。

マッチングアプリを1年半くらいぶりに再開して2日で気になる男の子がひとりできた。

わたしの好きなタイプ

恋愛には不器用そうで、ちょっと地味で、服もちょっとださめ(ごめんね!)でも人としては誠実そうでスペック高め。敬語を使う。女心は教えていかなきゃわからなそうな、純粋で恋愛経験があんまりない系の、でも性欲はしっかりありそうな、母性をくすぐられる、筋トレくん。内向型。好き。この感じはかわいい。歳をとった分、自分の人生観はしっかり確立させていて、ひとり時間を楽しめる。芯がある分、ちょっとがんこだけど、ちょっとがんこちゃんなのは人間らしさとして素敵と思う。やりたいことをして生きている。そんな感じ。

知りたい、教えたい、優しくしたい

そんなセンサーが働く。

会ってない時点での、わたしの今の感覚なので、修正は入るだろうけど、私の勘としてはそんな感じ。

そして、大きな心境の変化として、

私は好きだった元カレのことを全然思い出さなくなった。女は上書き保存とはこのこと。前を向いたらわかる、目が覚める。そうだった。私の世界に男はひとりではなかったのか。(当たり前)どうしても、彼がよかった。大好きだった。彼は唯一無二で素敵な男だったけど、私の人生に登場してくれたことのそれ以上も以下もない。ありがとさよなら、いっぱい幸せな気持ちをくれて、きゅんきゅんさせてくれて、考えさせてくれてありがとうね。大好き。8年ぶりの痛いセックス、それもかなりのグッジョブだよ!笑

そして、元カレ思考から脱出するような素敵な彼が現れたことにも、もうそれだけで気付きです。ありがとう。出会い方にこだわっていた私の気持ちもよーくわかるけど、こだわりをなくしてやってみたから彼と繋がれたわけで、勇気を出した私、行動した私、ありがとう。

こうなると、なんかこわくなくなる。一緒にいることになっても、離れることになっても、、、ずっと一緒か、ずっとは一緒じゃないかとかも。結果はみんな同じ、感謝なんだ。それで、全部に意味があるから、力任せに引き止めたりコントロールすることなんてない。

実際、わたしはせっかちだし、望むものは絶対欲しいし、まだ怖さはあるけど、大丈夫

ご縁が繋がることもご縁がきれることも、また再会して繋がることも、全部必要な素敵な出来事で、自然に任せるしかないし、学び続けていくしかない。自分だけはしぬまでずっと一緒だから。自分を1番愛して好きでいて、よくみて。自分より人を好きにならないこと。自分より人を大切にするのはおかしなことになる。相手だってそうだよ。それが、自己責任としてある。

誰か?はわかんないけど、私は大好きで深く愛し合い思いやり違いを受け入れ理解者となり合い味方でいるパートナー(わたしの旦那さんになる人)とこの人生で出会うって決めてるし、子どもを生みたいし一緒に生活することを経験したい願いがあるから、怖がらずに人と関わる。

ならば、最初から結婚願望がある男と関われば?って感じだけど、私はきゅんとこなければ嫌だ。タイプの彼を、自分の思い通りにしたい欲望が働く。でもこの気持ちは彼にとって優しくないとわかってるし、彼らしさを自分色に無理やり染めようとする行為。自然に影響を受けて染まるならいいけど、支配、コントロール染めはいけない。

そんな自分の欲望(男性的な性欲)もあっていいよと受け止めながら、自制をかけるところに女の美しさは出る。私が本当の意味で彼を好きになったなら、付き合うことになったなら、これ(支配欲、コントロール欲)を完全にゼロにしたい。彼のしたいように、彼を全体的にみて自由にする。そうして解放させてみて、私に違和感があったり傷ついたりするならば、話し合う。打開策が見つからないならばきっぱり離れる。大事にしてくれないなら、さようならってのは、お互いの約束だよな。

それで、相手が誰であろうとも、私が決めたことそれは、

正直に伝える。

気持ちはストレートに言う。直球。

自分にとっても相手にとってもわかりやすくある。

素直さを出すこと。(ちょっと照れながら。)

でも、相手に、自分と同じように開示しろということを強制しない。相手にもタイミングがある。

あと、大事だと思うのは、リズム感

私はせっかちだから、リズムが早くなりがち。それじゃあ自分も相手もリラックスできないから。

ペースは、おとして、ゆっくりじっくりいこう。そこに色気と品が出る。

がんばれ、自制力。できるぞ!

それから、決めてること。私は結婚と出産のために相手探しをはじめたわけだから、

いろんな人探しをしつつ、関わる人を大切にしたコミニュケーションを取りつつも、

付き合う人にしか、LINEの連絡先を教えないし、もちろん自分に触れさせない。それで、付き合うなら結婚前提くらいの覚悟で、本気で。(だめで別れちゃったとしても本気で関わる約束)だから、週1で会う時間をつくれる人。どうしてもだめなら、打開策を一緒に考えてくれる人しか、彼氏にしない。私を大事にしてくれる人、私が嫌がることを絶対しない人、知り続ける会話ができる人。味方であり理解者であり癒しである彼女の姿勢で彼をいっぱい幸せにしたい。

next new

次に恋をする時は、

少しずつ愛に変わる優しい恋がいい。

M気質ありの私だけど、

いじわると愛あるからかいは違うから

絶対自分を傷つけないと自分と約束する

大切にしてくれない人は受け入れない

会話をする

少しずつ近くなる

ひとりに執着しない

遠慮しない

目を見るよく見る、

行動をみる

私を変えない

相手も変えない

でも自然にふたりで変わっていく感じ

扱いが雑な文化?

扱いが雑、丁寧さがない、パワープレイ

実家に帰ると、それがふつうになる。

わたしが心を込めて丁寧につくったおせちをゴミだらけの机に置く。

わたしは汚れが落とされていない埃かぶったおせち箱を丁寧に洗い、なるべく丁寧に詰めるが、テンションが激落している。

時間もお金も労力もかかってやったものは

ここにきたらぐっと価値が下がったような気がした。いいや、全部持って帰ろうかって思ったけど、自分のためだけにつくったわけじゃないし、みんなの健康や良いことがありますようにって願い込めてつくったから、そのままばあちゃんちに置いてきた。

汚い机、片付いていないゴミだらけの居間

机の端っこの方で、丁寧に詰めたおせちは、猫が机の上を歩いて、だめだよと追い払う手を避けた拍子に猫の足があたり、床へ落下した。

もう、いい。なんにも期待しない。一瞬で無になった。

わたしは、こんな環境で、

少しずつ傷つき、雑に扱われて生きてきたんだな。

もちろん愛がないとか、責めるつもりもない。

そういう文化。

繊細さがないのだ。

大好きなばあちゃんにだけ。と、わたしの秘密を話したら、その日のうちに笑ってみんなに話し、笑いのネタになったこともあったな。

好きな人と、信頼する人はイコールではないと思った。もちろん不機嫌になってばあちゃんに怒ったけど、謝られるどころか、何が悪い?くらいの平気な顔してた。ばあちゃんは、謝らない人。都合が悪いことは人のせいにする。平気で悪口をいう。悪気なく。口が悪い。

ノートの糊がなくて、米でくっつけられたり

洗わない汚い手でわたしのものを触ったり、汚いところにわざわざ置いてお茶をこぼしたりする。

今日もいいから早く雑巾をかけろ、と物が散乱した床を指差している。

もらったもののお菓子の包装紙はびりびりに破いて床に放り投げる。

わたしが尊敬していて大切に思っているばあちゃんは、こう考えるとけっこうやばい。

今さら何を?と思うんだけど、

わたしはばあちゃんちや実家や、親戚の家が散らかり放題なのが、大嫌いだ。なぜここで生活ができる?って思う。靴下で歩きたくない。

色んな事情があるにせよ、

わたしは片付いてない部屋や、とっちらかったゴミ空間や掃除機をかけない、掃除しない家大嫌いだ。

それから、ずるい、優しくないおばさんも嫌いだ。

みんな、扱いが雑なんだ。

大切にしてない。人を環境を自分を。

わたしは違う。

わたしはそこに引きづられない。

嫌なものは嫌だ。

ばあちゃん母ちゃん親戚、みんなわたしと血が繋がる人たち。大切で、感謝してる。

だけど、わたしを雑さに巻き込まないでくれ。

わたしは今日から自分に丁寧に丁寧に生きる。生まれたての赤ちゃんを触るように自分を触り、話し、ゆっくり味わって食事をする。

わたしはわたしの価値観で生きる。

好きな人でも、価値観が合わないなら

一緒にいません。

好きと一緒にいるは、また別問題なのだ。

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう