ユーモアはいつもとなりに

ぷっと笑って,すぐ真顔に戻るくらいの,(文鳥の羽くらいの)かるい笑い,そんなんが日々の生活に散りばめられていることっていい。調子が良くなる。

最近気に入っている,ぷっと笑うInstagram

https://instagram.com/milktea.1122?igshid=YmMyMTA2M2Y=

ウインナー星人!

ってわけで,わたしも遊びました。

おにぎりにして一緒に家を出て,ジムで走った後に食べたら超おいしかったよ。

夜のぶどう園

2022年11月

東京都世田谷区にあるぶどう園で子どもたちがつくった作品の展示をしました。

雨対策をしなくてはいけなかったので、紙ではなくクリアファイルを切って、ホチキスでとめる。

クリアファイルを細長く切って,重なった2枚をべりべりべり〜と剥がす作業を繰り返すのですが,その時の感触と音に「あ〜ん,いい感じ〜笑」と体がよじれる感じがとてもとてもかわいかったです。笑

組み立てよりもそれが楽しかったようだ,と発見した時点でとりあえず成功だと思いました。感覚、感触をちゃんと味わえることはとても大切で作品づくりの土台となります。

いや,作品づくりだけじゃない。

人生の土台です。

小さい子なら,作品は形にならなくても,その過程でも充分得るものがある。

同じ素材でも、同じテーマでも,全然違うものになる。違う手,違う頭でつくるとこうなる。人間の多様性を1番感じられるのは子どもの図工なんじゃないかと思います。

ちなみにね…

実はここ,コロナ禍(最初の1年目)のお散歩コースでした。まさかここで仕事するとは思わなかった。そして果樹園での展示は昔考えていた夢だった。(自然物と人工物の交わり,そこに人が集まるのっていいかもって。)人生楽しい波動で思ったことは叶うんだと実証された出来事でした。おもしろいね。

散骨

海と魚と地元が好きだった父

四十九日が過ぎたので、東京湾に散骨をしてきました。

雲ひとつない晴天

まだあまり知られていない,海への散骨ですが,担当してくれた方の話によると、最近需要が増えているらしい。法律があるので,もちろんどこにでも散骨できるわけではないのだけれど,海,山,ハワイなど,故人が好きだった場所へ散骨を希望する人が近年増えていて,この会社だけでも年間400件くらい引き受けていると話していた。

もともと人間の最初は海からきているわけで,海に還ることは理にかなっているような気がする。

コロナ禍で,お葬式の仕方もさまざまになっている。骨壷も,都内のビルに預けたり,街の共同墓地に入ったり,樹木葬にして土に還るようにしたりして,昔からある考え方が一般的ではなくなっているんだなと思った。

リアルなお金の話で言うとお墓代のこと。まず購入にとてもお金がかかり,入ったら終わりではなく維持費がかかったり,〇〇費,〇〇費,といろいろあって,すごくたくさんお金がかかる。残された家族に負担をかけたくないとはみんな思うからみんな老後や死後の心配が絶えなくて,生きてるうちに頑張って働いて老後の資金を一生懸命に貯めているわけだけど

・・・ちょっとまって。それが日本を暗くしている問題のひとつだよね?

うちの父はまだ若いのに,両親の介護をしている間に自分も呆けてしまい,病気も重なり,働けなくなってしまった。

財産なんてほとんど無くなってしまったが,この散骨が終わってちょうど貯金を使い切り子どもに金銭的な負担はかけずに四十九日の全てを弟がやりくりしてくれた。

12月の終わり,ゆりかもめで日の出駅まで行き、そこから小さなボートに乗って東京湾へ出た。

ボートには,父のお姉さんご夫婦,父の親友2人と、弟と私の6人が乗った。

波は穏やかでまるで父の人柄のようだった

水溶性の袋に入った粉骨を持ち,ひとりずつ「ありがとう」ってそっと海へ入れたり,新しい人生の門出だからと元気にとばしたりした。

その後、お酒とお花をみんなで海へ入れた。

BGMは父が好きだった懐かしの米米クラブ,弟が用意してくれて,乗務員の方がスピーカーで流してくれた。子どもの頃の記憶,海のキラキラした光,ちょうどいい風が重り,その空気がみんなを包んでいたようで感動した。

骨と花とお酒を海に入れた後、ボートはそのまわりを一周して、鐘を鳴らし,みんなで黙祷をした。

約90分の散骨プランだった。戻る頃には日が傾き,さらに海をきらきらさせていた。

全員が初めての経験で,海に散骨ってどんな感じなんだろう?って不安混じりだったけど,ボートが戻る頃には,すばらしかったね,伸ちゃん(父)らしいなぁ,よかった。とかみんなでたくさん言い合って,広い海の上で一緒に味わったこの感覚に感動していた。

弟がぼそっと「俺も,おとんと同じところに還りたい」って言ったので,すぐ「私も」って言って,おばさんも「私も!」って続いたので,じゃあみんなでかな?と笑った。

私たちが小さい頃仕事が忙しくって,あまり遊びに連れて行ってくれなかった…って思ったことがあったけど,「今日はおとんからの最後のプレゼントみたいだね」って言ったら「そうだね、最高だよ」ってみんな言った。

本当に素晴らしい日だった。

お父さんありがとう。

この日の思い出,父がくれた光,海の美しさ,全てに感謝して,これから先も楽しく悔いなく生きていきます。

やったことないことをやる

東京駅から徒歩3分、はとバス前

今年2023年の抱負のひとつが「やったことないことをやってみる」ということ

気になっていたvironへ出かけた。vironは渋谷店と丸の内店があるけど、今日は丸の内の方

ランチタイムには間に合わなかったけど、カフェタイムに30分くらい待ってから案内された。

本日のスープ、サラダ、
チョコレートがはさまったバケット

パリに来たような優雅な雰囲気があった。

食後にアールグレイのポットサービスをいただいたけど,ベルガモットの香りが強く,とても好みでうっとりした。

考え事もひとつ決まって楽しくなり,いい午後だった。

頭が痛くなるほど集中していたことに,店を出てから気付く。キラキラした冬の東京駅を軽く散歩してから帰った。

思い出は辛くない

別れが辛い,昔から人よりも何倍もそう思う人間だったと思う。だから卒業シーズンである3月が来るのがすごく嫌で無駄にもがいた。寂しかった。恋愛はもっとこわい。いつ終わりが来るかわからない得体の知れないものだから。

いつだってそうだった。付き合えた大好きな彼といい思い出が増えていくと不安になる。いつまで浮かれていられるの?いつまでこれが続いてくれるの?って,まだ終わってもないのに先に終わりを想像して心構えをしちゃったりする。あんまり傷つかないようにシュミレーションしておかなくっちゃとか思って。笑

でも,考え方を変えました。

いい思い出は辛くない。

人生で,いい思い出は多い方がきっと幸せだから,何も怖がらず,恐れず,どうぞめいっぱいにいい思い出をつくりましょうって自分に言った。

いい思い出は,人生のすてきなこと。

急な雨が降った時に,相合傘してくっつけたからこれはこれでいいよなあってにやにやして笑い合ったこと

天気のいい秋の日に,ずっとキスばっかりしてなかなかベッドから出られなくって、呆れられながらも,もういいやあ今日はずっとふざけてよっか〜って笑ったこと

ゆかちゃんのつくるものって全部おいしーよね!って真剣な顔していっぱい食べていたこと

殴る真似しても蹴っても撫でてもでれでれしてもベタベタしても振り回しても急に倒れ込んでもなんでもゆるしてくれる人だった。

相手を所有することはできないけど,思い出はもうわたしのもので,変わらない。誰にも奪われないし,私の記憶がなくならない限り,いや,なくなっても体に染み付いていると思うことにしたら少し楽に生きられるようになった気がしている。

川が好きなんですけど(川というか水が好きで,川は底が見えて安心するから好き)

川を見てて思ったことがあります。

川のように,自然に形を変えながら自然に任せて流れていく,流れは時間 

去った人も去った昔の私も,

過去,過去,過去,

その場には留まれなくって,いつも流れの中にいる。流れているから儚く美しく輝く,そしてきれいでいられる。

人間の細胞や血は日々新しくなり,昨日の自分と今日の自分は別物です。

だからもう,過去は過去で前を見るしかないんです。

なんだかんだ言ったって,そんな経験も含めて今の私が1番すき。

色んな人と出会って,色んな感情を経験して,学んで気付いていく。

もしかしたら,ずっと未熟なのかもとか思うと恥ずかしいけど,そんな恥ずかしさも認めて生きていく。

だから、今日の私が1番いい私。日々,日々,私は最強なのである。

初夢

ラッパみたいだからめでたいと思って買った花

1月1日,目覚まし時計の1.1をじっと見つめ,ああ元旦なんだと思う。

初夢は先輩が出てきた。

中学校の時に憧れていた2つ上の先輩

TASKっていうバンドをしていて、先輩はドラムだった。

そのバンドの先輩達はみんなかっこよくて、顔だけじゃなく性格もいい。さわやかに毎日を楽しんでいて、みんな学校の中のこと(部活や委員会など)で頭を使ったり体を使ったり色んな工夫をしていた。後輩たちは先輩みたいになりたいと思って頑張ったし、もう!キラキラしすぎていた。

体育祭で応援団をしたり、生徒会の活動をしたりして、とにかくなんでも楽しむ天才でとても目立っていた超かっこいい先輩たち。思春期の恋したい女子たちで笑、ねえ、どの先輩がタイプ?と話した(今でいう押し,がみんな決まっていた)

田舎って不良が目立つ文化があるような感じがあるけれど、先輩達は違って、あいさつ運動に力を入れたりだとか、合唱コンクールですごく頑張って練習したりだとか、、、自分たちも青春時代を楽しもうとしていたし、その勢いを学校全体ににもぶつけてくれていた。みんなで楽しもうよ!って。生徒会活動で壇上でマイクをもって大きい声で「歌は歌うから楽しいんだ!」(だから全力でやろうぜ)って言ったりしてめちゃくちゃかっこよかった。(胸に矢がささりっぱなしだった)

先輩は1階の3年2組で,私は2階の1年2組。畑の大根が大きくなりすぎて、なかなか抜けなくて困ってる先輩もすてきでバレないように隠れながらベランダでのぞいて見てたのも思い出…笑

バレンタインは先輩の家の玄関にかけて,猛ダッシュで走った。部活の先輩から「ありがとう、うれしかった」って返事きた。

3月、放課後にバンドの解散ライブをした時に、飾りに使う風船を膨らますお手伝いに女の子たちが集まったんだけど、先輩が私の目の前に来て、「ありがとう,楽しんでね」の言葉にはくらくらして後ろに倒れるかと思った。1週間くらい朝から晩まで先輩の顔を思い出してはくらくらして、心臓壊れるかと思った。これが、恋の病!

卒業式には名札(私がもらったのは複製した新しいやつ,もうひとつは彼女にあげたと噂で聞いた)とバンドのばち1本、あと同学年の男の子から袋に入ってる(もちろん洗ってない)上履き片方を譲ってもらった。笑

卒業式の前日に机の中に手紙を入れたらS高で待ってる、だってと部活の先輩から返事を聞き、それから猛勉強したんだけど先輩が行ったS高には受けれるレベルにもならなかった。

先輩エピソードはこのへんにして笑

2023年1月から1日の初夢はその先輩がいきなり登場されました。

大人になった私がプールで泳いでいたら、となりのレーンに先輩がいて、ずっと見ていたら先輩が先に目をそらしてはにかんだ。

その後も何度かプールで会うようになって、顔を合わせるうちに話すようになって、

私の担当するラジオ番組のゲストとして(私はいつからラジオパーソナリティになったんだ?笑)会っているうちに仲良くなってく・・・楽しい夢だったんだけど、恋人とかにはならなかった。きらきらしたまま目が覚めた。

先輩って、ちゃんと心が熱くて、それは自分のためでもあり周りを巻き込むエネルギーもあった。真面目に勉強していて頭もよかったけど、ずっとうんちとか言ってふざけてるよって部活の先輩から聞いたりして、、、なんかバランスのとれた人で先輩のやること全部好きだった。

とにかく楽しい時間を過ごそうよ、今を精一杯に楽しく生きようよ!そんな先輩の態度が、後輩たちの心に刺さっていたし、私にも刺さってた。

思えば、今の私が仕事で目指すところもそこ。先輩との出会いの影響は気づかないうちにすごく大きく染みついてると気がついた。

楽しいことを大切に守っていて、守るために頭を使ってる。強く優しくたまに小さい悪さもしたりふざけたりする。

そうやって生きることのよさに感動してる。

ひとりの力は小さなようで大きい。

もう20年も前の話

思い出したらすごく学びがあった。そして、私の進んでいる道はいい感じだよって誰かに言われている気がした。

正解も不正解もないのは知ってる。みんな完璧な人生を生きている,どんな人生だって全部完璧なのだ。でもやっぱり自分なりのベストを出したい。

バスの席からふと顔を上げたら目の前に富士山があった。いいことありそう。

小さく暮らす

2022年夏の終わりに大切だった人と別々の道を生きることになった。

気持ちを整理するように物も思い切って整理して,前を向こうと思った。

家具屋さん、古道具屋さん、メルカリ、いろいろな手段で彼と関わりのあったものに、今までありがとう、とさよならした。共通の友人も。

携帯を変えたら、Instagramもちょうど開かなくなって、そこで繋がっていた人も。

こんな機会なので別人のように、私の人生の第二章を生きようと思った。

断捨離中の時期にかわいい年下のボーイフレンドがいたけど深い付き合いにはならず、なぜか私がフラれたってことになり、父はとうとう死んでしまった。ダブルパンチどころかトリプルパンチだった。

悲しいけど希望をくれる坂本慎太郎の歌ばかり繰り返し聴いたり、カネコアヤノの儚いかっこよさに憧れたりしてあまり記憶のない日々を過ごした。

どこで間違った?とか、いけなかった?とか、もっとがんばれたんじゃない?とか、未熟すぎる自分を責めることがやめられないくて、気付いたら自分を責める思考になってる、そんな感じでこの年で母親に暴言吐いたりして(遅すぎる反抗期)自分との戦いの日々はなかなか終わらなかった。

なんとか光の方へ自分を向かせるために海外留学(というかただの旅行)を決意

少しでも身軽にしておくために、そしてやっぱやめたとか自分を逃がさないように引っ越しも決めた。

そこで引っ越したのがここ

このせまい台所の物件。風呂も狭いし、短期だからって掃除をあまりしてくれなかった。(高齢の方が2回掃除したらしいが・・・高齢の方がやったからお許しくださいとか言われたらずるい。何も言い返せなくなっちゃった)

すきな街より、住んだことない未知の場所を開拓しようとか思って直感で選んだこの場所。

ご縁があったこの街であと3ヶ月たくさん遊ぶのだ。

とにかくぐっすり眠れる場所があることに感謝します。神様ありがとう。

荷物到着後3時間で全て終わらせた
(頑張り過ぎて夜吐いた)
机は弟にあげる前提で買った
植物は持ってきてよかった

supplies ball

アナンダ・マーイさんの作品「サプライズボール」この土の中にはおもちゃが入っているらしい。

中を開けている動画を見つけてわくわくしたが、一生開けれそうにない。

しかし、これは手放した方がいいと思って(なぜなら買った時の記憶が残っていてその記憶を断ち切らなくちゃいけないから)

ちょうど家具を引き取りに来てくれた若い男の子がとてもタイプだったので「これ、あげるね」と、かるく渡してしまった。

男の子はそっとこわさないように大事に持って帰ってくれた。

彼にとってもsuppliesだったよね。好きなものを好きなのに手放すのは辛い。人もそうだよね。でも、固く固く握りしめるような人にはなりたくないし、空気もしくは優しい風みたいに自由に笑っている人でありたい。

泣いた後にも、怒った後にも、最後に残るのは愛だよ、と友人が優しく言いました。みんな幸せになったらいい。あと、私はその男の子にアプローチしようか迷って2ヶ月たっちゃった。

どんなに傷ついても、やっぱり恋はしたいというところ、やっぱり人間も動物で生命体なのねと思ってる。タロットやってる河村さんに「傷つかない恋なんて、あると思う?」って喝入れられてちょっと勇気出た。

ポーラ美術館

冬の晴れた日の午後

目的はピカソ展ではなく、レストランアレイのビーフシチュー。

月曜日だったから、昼時でも人は少なく窓側の特等席に案内していただいた。

冬らしい雲ひとつない澄んだ青空

考えごとをひとつ、ふたつ、思い浮かべて嬉しくなったりかなしくなったりした

せっかくだからとピカソ展もみました

青の世界が美しかった

遊歩道を歩く頃にはもう夕方近くなっていた

ロニ・ホーンの作品

2022年3月まで開催されていた展示

ロニ・ホーン「水の中にあなたを見るときあなたの中に水を感じる?」

その展示のひとつであったオブジェが今も置かれている。水は凍っていた。

季節,その日の天気,時間,誰かと行くかひとりで行くか,なんなら,前日によく眠れたかどうかによってこの場の空気は全然違うものになるし、自分自身の思考も見え方も変わる

次は春に親友と

もちろんランチはビーフシチューを食べよう

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