21番 世界

「自分のことしか考えてないやん、相手のこと好きなら相手の立場になって考えてあげてる?」「結局、自己価値が低いねん」

ある人からずっと言われつづけている言葉

わたしは自分勝手なのか。自己価値が低いのか。

わからない。

そう言われる理由はなんでなの?とタロットを引いたら、21番が出た。

自由になるため…?

孤独になればなるほど、自由なのかもしれない。

早急になんとかしなくちゃいけないのは、行動することじゃない。外側じゃなくて内側。

癒されることは、他人に依存することで満たされた気になることじゃなく

ひとりでいる時に、本当に癒される、という実感をもっと深く知る必要がある。

芸術や多様性に目を向ける。

自分勝手な自分に反抗しない。

会うたびに違うことを言う人の言葉に振り回されない。、

自分はどう思うか。

私は、自分勝手じゃなかった。悪いかったかもしれないけど悪くもない。

昨日、すごく嫌な気持ちになった。疲れもあるけど、いろいろな状況を見ないで、想像と感覚だけで独り歩きしている自分に嫌気がさした。ちゃんと目を見れない自分を変えたい。雰囲気で行動してしまう自分を。。。それは自信がないからで、世界に信頼が無いから。

目を見れる人と見れない人がいるのも自覚したい。見れない人は、極度に好きか嫌いな人。見れる人はいい距離感の人。

全部を見れたら、、、

光も影もみれたら、強いのではないか。

何も喋んなくていいから、いろんな人をちゃんと目でみたい。

こんなん茶番だってわかってる

コントラスト

コントラストを楽しみたいんだと思う

明暗の、しろくろの、

とっても悔しかった出来事、その茶番のフィルムが

朝、透き通った川を見ながら思い出すととても美しくみえる。

中途半端な、未熟な自分が、いけてる気がして

いつだって負け組だった青春時代の自分は実はなかなかいけてると思う。不器用ってかわいい。一生懸命だってかわいい。

周りの人に、私のことなんか、すぐにわかってたまるか、わかるほど単純じゃない。

成功が、目立つことが、強いことが、美しくて正しくてみんなが目指すべきことと思っているやつら(昨日までの自分も含めて)そんな人にはわからない。

自分もよくわからないが、

惨めでかっこ悪い自分を笑えた時に、わたしは自分の見える世界が断然広くなった。

それに気付かせてくれた、そのきっかけをくれた彼のことは、やっぱり好きだ。

もっと近づきたいし、触りたいし、

彼は私のことは好きじゃないし、相手にもしてない。どうでもいいと思っていることを思い知らされて、どうにもならない現実を実感して、手に入らない(むしろ手に入るものなんてひとつもない)苦しさを押し付けられて、けちょんけちょんにされて傷付きたい。

その先に、どんな景色があるのか、見てみたい。

うまくいかないこと、それがわたしの望みだったから、その現実が目の前に来ている。いい役者がそろっている。

陰極まって、陽に転ずる

それが私の月のサビアンテーマなのはだいぶ前から知っていた。

仕事は、10年かけて、本気でやって、本当にどん底時代を経て、今とても幸せに働いている。癒されてる。まだ課題はあるけど、力の抜き方を覚えた。泳げないでもがいていた人が泳げるようになったように。そして、泳いではいけない場所も知ってる。恋愛も仕事のように楽になればいいんだけど、、、。

まだよくわからないけど、気持ちのいい朝だった。

絶望感がみらいをつくる

昨日、同僚が、今日は最悪の授業だったと言った。子どもたちがいつもと違って大騒ぎして大変なことになっていたらしい。

こんなことがあるとトラウマになりそう。

またあの最悪なことが怒ったら嫌だと思うし、緊張しそう。

わたしも過去にたくさんの修羅場(笑)を経験したけど、

問題が起こるのには理由があるわけで、

見えない部分の深層心理と深い

根本の、根っこの、根っこ

それを見つめる勇気

それに気付く余裕

向き合う時間

自分自体が悪いんじゃない。自分の奥底にある詰まりが悪さを起こしているとしたら?

その詰まりをとるために現実に問題となって目に見えているとしたら?

悪玉だと思っていたやつは、実は希望の光だったりすることを忘れずにいたい。

わたしはと言うと、仕事はそこそこ安定感があるが、

苦手の苦手であるがとても自分にとって大切である恋愛関係の人との関わりについて、

やっぱり同じことを繰り返して落ち込んだり嫌んなったりしてる。

それも、やっぱり問題と課題は根っこにある。

それはやはりわたしと父親の関係であって、もっと大きくみると、親戚の、先祖の、繰り返しのパターンが強く根付いているのだなあ、

と、それには気付いているんだけど。

ひとりで解決しない。

最近、私の話を聞いて、目の前で泣いてくれる人が2人…連日で、なんか嬉しくてくすぐったかった。

失敗を怖がらない、完璧にしない。人に対しても、自分に対しても、現実を見る力。寄り添うこと。

自分のことを客観視したり冷静にみるって、とても難しいけど、たまには渦の中から出て、冷めたように薄目で自分の世界を見てみようと思う。

薄目で、薄笑いで、笑

そのくらいがいい。(ほんとは熱いし熱くなりたい攻めまくりたい、無鉄砲な私もなだめながら。)

成長と課題の解消

1期 独り立ち・・・一人暮らし、実家から出る

2期 反抗・・・閉じ込めたマイナス感情に気付く

3期 解消・・・問題と向き合う

4期 毒出し・・・体調不良、かゆみ痛み

ここ10年を振り返ってみたら、大きく4つの時期に分けられるなあと思った。

今は毒出し

生きてる限りいいものもわるいものも、陰陽両方が循環するので、片付けと一緒でおわりもゴールもない。でも、今までの30年近くの過去の毒出しをいましてる。お掃除の時期

正解はないけど、

物事について、客観視できたり、納得したり気付いたりするとやっぱり嬉しい

今日はそんな日だった。

早く起きた日

本日、朝5時に目が覚めて、

はやく家を出た。

まず職場机の引き出し4つを全部ひっくり返し、古くなった資料や全然使ってない文房具やいつか役に立つであろう使っていないものを片付けた。

次にやりかけの仕事や、返事をしないままになっていることの返事を明確にする。

そして年末から逆算して今やるべきことを確認し、取りこぼしがないようにメモする。

おやすみで作業が進んでいない人へのフォローをいつするか計画し、

いいことをした子へのご褒美ブンブンゴマを何個かつくっておく。

授業で使うものを鍵がかかった部屋から出し、廊下へ並べる。

乾燥棚に入った絵の作品を取り出し、まとめる×2

来週使う紙をちょうどいい大きさに切って準備しておく。

昨日大げんかして泣いてた子にもう大丈夫?とききにいく。

*****

思いつくまま、やりたいように、次々と仕事をこなすことは気持ちがいい。

そして、丁寧な準備は自分を助ける。

動ける日はこんな感じだけど、もちろん全然動けない日もある。

私、よくやってると思う。

自分の頭で考えて、自分のできる仕事をしてる。

自分のために、子どもたちのために。

使命感とか責任感を持って仕事をするって気持ちがいい。

自分が善人にみえる。

結局嘘ばっかりだとしても。

正当化できる。

自分のできる範囲で、自分も子どもも幸せにしたいと思うのは、本当の気持ちだと思う、と準備しながら思う。

しかし、私は子どもの成果をちゃんとみていないのが現状

子どもひとりひとりを大切に、できていないと思う。

準備はしっかりするけど

片付けまで体力が持たないとか行って帰ってしまって、

作品を全然みていない。

時代に依存しているかもしれない

愛に飢えた時代だと思う。

特に子どもが。

情報や多忙によって、大切なことが埋もれている。

だからこそ、、、

と、私の使命感、熱意、存在意義、よさが輝く、、、?

あれれ?

内海聡さんの「心の絶対法則」を読んでいて、あれ?と思った。

『愛に飢えた時代』は、

私にとって都合がいいんじゃない?って。

例えば、

犯罪が起きなければ警察の仕事は減るわけで、

誰も困っていなくて暇なことは、いいことなはずなのに、

そしたら警察の存在は必要なくなる。

そしたら、警察はやることなくて困るんじゃない?……とか、それと一緒

私は、子どもにはすごく優しい。

怒る時は、ちゃんとそこに、伝えたいことの愛がある。

子どもは動物的感性が大人より強いから、そういう感じは伝わる。

だから、わたしは、子どもに人気があるし、好かれる。寄ってきてくれる。

自分でいうのもあれだけど、

“みんな好きな先生”像を1年でしっかりと定着させた。

学校の異動があっても、あんまり不安はなく、小さい子はだいたいみんな私が好きになる。

不登校の子も、私の授業には出ようとするし、仲良くなって、学校に来る数が増える。

私の担当教科は音楽と図工なので、お勉強じゃないから参加しやすいのもあるけど、

私は、そういう不登校になりがちな子と学校の繋ぎ役の役目もしたいし、できるし、力になりたいと気合いが入る。なんか、使命感みたいなのに燃える。

こんな感じで、私は私の仕事を天職だと思っていたのだけど、、、期待に答えられる仕事だと思っていたのだけれど、、、

なんかさ、私、

時代を利用してない?

時代に依存してない?

…って、思った。

そもそも私は、子どもの幸せなんて願ってなくて、自分が気持ちよく社会に貢献していることに酔ってるだけなんじゃない?って。笑

そう思ったら、ちょっと笑える、、、え?最悪じゃん。笑

だって、子どもたちが本当に幸せなら、私になんて寄ってこなくなる。

愛に飢えている子が、寄ってきて、くっついて、大好き、と言う。

それが、かわいいだなんて、

おかしくない?笑

甘えてきてくれるのは、嬉しいし、その子にとっての寄りかかる場所であれるのならいいし、ばちばち喧嘩する先生より、安心して寄りかかれる先生の方が良いし問題は起きないので、私はいい先生だと思っていた。

私、やばくない?笑笑

優しくあたたかな指導が、子どもにとっていいのかはわからない。

寄り添う、過保護な指導が、子どもにとっていいのかはわからない。

人気のある、問題を起こさない先生がいい先生じゃ、ないんだよね。

じゃ、どうしたらいーの?とか思うけど。笑

フォロワーの数が多い人がえらい、と思われがちな社会ですが、

そんなこと絶対にねえだろ。

でも私、学校で1番くらいに人気あるから、価値ある先生だと思ってた。笑

それで、モチベーションを保っていて、

好かれるように子どもに関わっていたの。

自己の欲求、自己肯定感、カリスマ性

それらで自分に酔って、自分を満たす仕事の仕方って、ちょっと気持ち悪いよね。笑

結局、私は寂しくて弱くて、なんかそのうち消えるか、潰れちゃいそうだから、、、。

そして、愛される自信が欲しいから、

一生懸命に自分を気持ち良くして、心地よくして、保ってきたんだなーって思う。

私に救われている子はたくさんいるんだっていう勘違いはやめて、

ちょっと軌道修正してみようかな、と思う。

実は今年の3月にこの仕事から離れようと思っていたんだけど、なんでかわかんなかった。

多分理由は心の奥でこの依存に気付いていたからなんだろうな。と思った。

愛とは。自立とは。

幸せとは。循環とは。

本当に願うことはなんだろうか。

単純にはならないだろうけど、

綺麗事を重ねてうそをつく生き方はやめて、

もっと自由に、ありのままに、

本当にみんな幸せになりたいよね。

力や欲望や恐怖で動く社会は終わりにしよう。

それよりも、好奇心や楽しさやつながり、そして依存じゃなく自立した幸せを感じる社会へ。

そのために、まず自分の中から。

つまらない、安い、プライドを捨てよ。

自分のため人のためのなんかいいことを。

傷付けばいい

正面衝突してしっかり傷つく
抵抗せず、壁にぶち当たる
結局それが1番近道なのかもね


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傷つかないように問題から目を逸らしていたら、また同じようなことで悩むもんね。まあ、ゆっくり解決する道もいいんだけど。私はせっかちなうさぎタイプなんで、傷だらけでも進んで違う景色を見たいのかも。(ど根性どM)

傷つけば、気がつく

小さな希望は小さくない

大人の都合とか理不尽なこととか、本当に仕方ないこととか、そこに愛はあるんか!ってこととか、いろいろありますけど、ポケットにお手紙が入っていて、うーん、まあいいか。となった。5枚しか入っていないレアな折り紙の中の水色を少し切ってわたしにくれた。なんてことなの。

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心を込めてやっていたことが、急にもうそれやらなくていいと言われちゃって、夕方、ちょっとふてくされてた。
ちょっと怒ったし、愚痴も吐いたし、もういいか。って、やる気をなくしていたんだけど、、、
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大きな力じゃなくていい。小さなことで貢献できたら、それでいいと思い直した。この小さい、キラキラのお手紙に私はとても助けられたから。
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お手紙、ポケットに入れといてくれて、私を助けてれてありがとう。優しい子といると、わたしも優しくなれます。これは忘れちゃいけない。

私は、ただ、単純に、

嬉しかったり、楽しかったり、心が温かくなることを毎日いっぱいつくりたいし、感じたい。

自分だけじゃなくて、周りにも、思いやりとか、愛を配れることの豊かさを学んで、最終的にはみんなそれぞれ幸せでいようって思ってるの。

まだ心が柔軟な子どもたちに、押し付けにはなるべくならないように、無理ない範囲で身をもって教えてるの。いろんな大人と関わって、どれがいいか決めるのは自分だとしても、選択肢のひとつとして、教えてるの。

でも、大人はいろんな経験をして、価値観とか生き方とか信念とか、頭も心も出来上がっているから、合う人合わない人はいるから、みんな仲よくとは思ってない。

むしろ、価値観のぶつかり合いは、ばちばちしたい(いや、だめか)

そうじゃないな…

戦わない、が正解

同じ土俵に立たず、客観的になって見つめるのが良さそう。

私が正しいって、きっとみんな言いたい

でもそれって、正解はなくて、自分の中の正解を見失わなければ、いいんじゃないか。

(それは、出来事によって変わってもいい)

そしたら、戦う必要はなくなる。

引っかかる出来事には、それには、ヒントがあるから、

考えていった先に何か鍵がある、そんな気がする。

気が合う人と共感する喜びを感じたり、

気が合わない人との理由を考えたり、

結局、誰と関わっても、それは宝物なのだということ、、、、。

よくわかんないような、わかるような、こんなことを考えるのも、わるくない。

今日、行った資料館の案内する人が、とても苦手なタイプの人だった。

歴史について詳しく、マウントを取るようにクイズを出してくる。

私は歴史が超苦手で勉強してこなかったので、ほとんどわからない。

黙っていて、困っているのに、

追い討ちをかけるように、なんでだと思う?クイズを出してくる。

友人も一緒に捕まっていたので、その場から離れたら友達を見捨てるようで動けなかった。

我慢して、我慢して、目をそらしても除き込んで聞いてきた。その光景が頭に焼き付いてる。

トラウマになりそうなくらい、迷惑だった。

ついに私は睨みつけたが、相手は全然気にせず話を続けた。

しかも、その人、私が苦手な知り合いにそっくり。兄弟なのかと思うくらい。いや、そうなのかも。苗字も一緒だったし。

資料館を出た瞬間、叫びたくなった。

私は、なんであの人に会ってしまったのか。

友達は、確かにしつこくて途中から嫌になったよ。と同じ気持ちでいて、よかった。

実際には、その人の資料館に対する熱量はすごかったし、入場料に値するような価値はあった。

でもさ、

どんなにすごい知識はあっても、思いやりがない人って、

やっぱり煙たがれると思う。

知識の押し付け。最悪。

自分が話したい、マウントをとりたい、すごいと思われたい、自信と誇りを持っていたい、そんな気持ちが見えてる。

どんなにおもしろい知識があっても、思いやりや気遣いができない人とは、関われない。

大人な対応で我慢した私は、えらいと思いつつ、少しくらい言い返してもよかったんじゃないの?と思う。

もやもやした気持ちを母親に電話して話そうと思ったけど、

どうせわかってもらえない。

いや、聞いて受け止めてもくれない、

と心の中の私が言って諦めた。

陰と陽のせかい

人気がある人(光があたっている人)には、それと同じくらい影がある。陰陽の法則、ってのはあるのか。

じゃあ、光が少なめな人は影も少なめ?

陰とは???

悪?いじわる?傷ついた心?うしろめたさ?ずるさ?嫉妬?ねたみ?

小さい頃、目立つような子って、ちょっとずる賢かった気がしてきた。

目立たないけど、優しい子が好きだったが

虫のように、光る方へ光る方へと憧れて、

そのポジションにいくことが自分の価値のような気がしていた。

みんな充実した日々を過ごしたい

よりよく生きたいと思う。

はて?よりよく生きる、とは?

華があることが素晴らしいだなんて、それはフェイクだ。

要は、幸せを感じているかどうか

隣の芝生じゃなくて自分んちを見よ

自分の幸せがなんだか知る

人に助けられたり、ヒントをもらったり、影響されたりしながら、、、

「ゆりちゃんは、幸せを外側に求めてるよ」

最近よく言われる。

誰かが〇〇してくれたらとか

彼氏ができたらとか

「もっと人に頼りなさい」も同時によく言われる。

私はその2つで混乱している。

人に頼りながら、自立?へ?

意味わからない。

運動している時にイントラの先生が言ってくれた「無理しないで」「ちょっとずつね」その言葉が優しくてせっかちな私の足をゆるめてくれた。これは、運動のこと以外にも、私の現状とリンクして、心にぐっと響いた。

クリアしないと前に進めない、というせっかちでちょっと強引でS気のある自分をやめよう。

すぐ結果を出そうとするのをやめよう。

いろんな自分と並走しながら、

完璧じゃない自分と優しく進もう。

今日もがんばった。いっぱい助けてもらった。いっぱい愛をかけた。いっぱい愛をかけてもらった。ありがとう。

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