愛に飢えた時代だと思う。
特に子どもが。
情報や多忙によって、大切なことが埋もれている。
だからこそ、、、
と、私の使命感、熱意、存在意義、よさが輝く、、、?
あれれ?
内海聡さんの「心の絶対法則」を読んでいて、あれ?と思った。
『愛に飢えた時代』は、
私にとって都合がいいんじゃない?って。
例えば、
犯罪が起きなければ警察の仕事は減るわけで、
誰も困っていなくて暇なことは、いいことなはずなのに、
そしたら警察の存在は必要なくなる。
そしたら、警察はやることなくて困るんじゃない?……とか、それと一緒
私は、子どもにはすごく優しい。
怒る時は、ちゃんとそこに、伝えたいことの愛がある。
子どもは動物的感性が大人より強いから、そういう感じは伝わる。
だから、わたしは、子どもに人気があるし、好かれる。寄ってきてくれる。
自分でいうのもあれだけど、
“みんな好きな先生”像を1年でしっかりと定着させた。
学校の異動があっても、あんまり不安はなく、小さい子はだいたいみんな私が好きになる。
不登校の子も、私の授業には出ようとするし、仲良くなって、学校に来る数が増える。
私の担当教科は音楽と図工なので、お勉強じゃないから参加しやすいのもあるけど、
私は、そういう不登校になりがちな子と学校の繋ぎ役の役目もしたいし、できるし、力になりたいと気合いが入る。なんか、使命感みたいなのに燃える。
こんな感じで、私は私の仕事を天職だと思っていたのだけど、、、期待に答えられる仕事だと思っていたのだけれど、、、
なんかさ、私、
時代を利用してない?
時代に依存してない?
…って、思った。
そもそも私は、子どもの幸せなんて願ってなくて、自分が気持ちよく社会に貢献していることに酔ってるだけなんじゃない?って。笑
そう思ったら、ちょっと笑える、、、え?最悪じゃん。笑
だって、子どもたちが本当に幸せなら、私になんて寄ってこなくなる。
愛に飢えている子が、寄ってきて、くっついて、大好き、と言う。
それが、かわいいだなんて、
おかしくない?笑
甘えてきてくれるのは、嬉しいし、その子にとっての寄りかかる場所であれるのならいいし、ばちばち喧嘩する先生より、安心して寄りかかれる先生の方が良いし問題は起きないので、私はいい先生だと思っていた。
私、やばくない?笑笑
優しくあたたかな指導が、子どもにとっていいのかはわからない。
寄り添う、過保護な指導が、子どもにとっていいのかはわからない。
人気のある、問題を起こさない先生がいい先生じゃ、ないんだよね。
じゃ、どうしたらいーの?とか思うけど。笑
フォロワーの数が多い人がえらい、と思われがちな社会ですが、
そんなこと絶対にねえだろ。
でも私、学校で1番くらいに人気あるから、価値ある先生だと思ってた。笑
それで、モチベーションを保っていて、
好かれるように子どもに関わっていたの。
自己の欲求、自己肯定感、カリスマ性
それらで自分に酔って、自分を満たす仕事の仕方って、ちょっと気持ち悪いよね。笑
結局、私は寂しくて弱くて、なんかそのうち消えるか、潰れちゃいそうだから、、、。
そして、愛される自信が欲しいから、
一生懸命に自分を気持ち良くして、心地よくして、保ってきたんだなーって思う。
私に救われている子はたくさんいるんだっていう勘違いはやめて、
ちょっと軌道修正してみようかな、と思う。
実は今年の3月にこの仕事から離れようと思っていたんだけど、なんでかわかんなかった。
多分理由は心の奥でこの依存に気付いていたからなんだろうな。と思った。
愛とは。自立とは。
幸せとは。循環とは。
本当に願うことはなんだろうか。
単純にはならないだろうけど、
綺麗事を重ねてうそをつく生き方はやめて、
もっと自由に、ありのままに、
本当にみんな幸せになりたいよね。
力や欲望や恐怖で動く社会は終わりにしよう。
それよりも、好奇心や楽しさやつながり、そして依存じゃなく自立した幸せを感じる社会へ。
そのために、まず自分の中から。
つまらない、安い、プライドを捨てよ。
自分のため人のためのなんかいいことを。